YUKI

言語、言語で表現できる総て

苦(ドゥッカ)、渇愛(タンハー)

『現実の世界は苦であるという真理』(苦聖諦)は、仏教の根本教説である四聖諦の一番目です。

「苦」は duhkha (ドゥフカ)というサンスクリットを漢訳したもので、原義は「思いどおりにならない」ということです。

「まず信じるところから始めるのではなくて、
事実はどういうことなのかを実際に自分で観察してみる」
ありのままの姿を観察することによって、存在のシステムはどのように成り立っているのか、というこの世の仕組みがわかる。

生命現象とは、最も複雑な物質代謝であろうと考えているが、
「苦」とは、生命・非生命を越えた宇宙の真実なのだろう。

『苦は、渇愛から生じます。渇愛は、再成し続け、喜びと愛着をともない、いつでも心の気に入る、という三つの特色をもち、五官を刺激したい、存在したい、壊したい、という三種類の欲で成り立っています。』(初転法輪経)

(タンハー)とは「渇いている」「満たされていない」「ほしい」という生命の根元的な欲望で「渇愛」と訳されています。

およそ仏教では「愛」は悪いものだ。
「慈悲」の心が大切なのである。
愛こそすべてと歌い上げているこの現代日本では受け入れがたい思想であろう。
「諦」という字を「あきらめる」の意味で使うのはアジア諸国で日本だけらしい。
本来は「正しく認識する」という意味なのだという。

苦しむために生まれた人間が渇愛を排し、生きていくことはむずかしいことである。