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棚園正一
1982年 愛知県生まれ。
13歳の時に漫画家 鳥山明に出会い、漫画家を志す
2008年 講談社月刊少年マガジンにて読み切り作品「「Soleilーソレイユー」にてデビュー
2015年 『学校へ行けない僕と9人の先生』(双葉社)
2015年 『マンガ うんちく名古屋』(KADOKAWA)
2019年 『マジスター 見崎先生の病院訪問授業』(小学館)
2021年 『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』(双葉社)
2022年 『マンガで読む 学校に行きたくない君へ』(ポプラ社)
2024年 『「山奥ニート」やってます。』(光文社)
漫画家・イラストレーターとして活躍する傍ら、
不登校だった自身の小・中学校時代を描いた
『学校へ行けない僕と9人の先生』が注目を集める。新聞、ラジオ、テレビなどメディア出演多数。
不登校をテーマとした講演を全国各地で行っている。
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鳥谷明さんとの出会いを転機に不登校から漫画家に
棚園正一さん「大人としても目標の人」
2024/3/11 産經新聞
3月1日に68歳で死去した漫画家の鳥山明さんは「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」といった作品を通じ、多くの人を勇気づけてきた。漫画家の棚園正一さん(41)は作品だけでなく、鳥山さん本人との出会いが人生の大きな転機となった。不登校に苦しんでいた中学1年の頃、鳥山さんにかけられた言葉を大きな支えにデビュー。鳥山さんは漫画家としてはもちろん、一人の大人としても目標となる人だったという。
◯世界を変えてくれた
学校に行けずつらい日々を送っていた中学1年のとき、鳥山さんの原画展に行ったことをきっかけに漫画家を志した。母親が同級生だった縁で、鳥山さんの自宅を訪ねることができた。
自分の作品を見せると、鳥山さんは「世界があるね」とほめてくれた。思い切って「学校に行かなくても漫画家になれますか?」と尋ねると、「学校に行かなくてもなれるとは思うけどさ、行ったほうが学校の話とか描けるから便利かもね」。あっさりとした返答だったが、その言葉が棚園さんの世界を変えた。
◯「たったそれだけのことなんだ」
学校に行けない「普通じゃない自分」を責めなくていい―。そう思えた。
偉大な「親戚のおじさん」
その後も鳥山さんとの交流は続いた。自宅を訪ねると、いつも玄関で出迎えてくれた。学校に行けず苦しんだときも、漫画がうまくいかず悩んだときも、どんなに忙しくても時間をとってくれた。
「そうか、大変だな」「相変わらず頑張ってるね」。ただ話を聞いてくれるだけで、うれしかった。
「改めて考えるとものすごい人なのに、僕としゃべっているときは親戚のおじさんみたいでした。子供だった僕のくだらないおしゃべりにずっと付き合ってくれた。それってとてもすごいことだと、大人になってから気づきました」
動物が好きな鳥山さんは、熱帯魚の水槽を見せてくれたり、仕事部屋をのぞかせてくれたりしたこともあった。偉大な漫画家なのに、そんな素振りは見せない。「鳥山さんのような大人になりたい」というのが棚園さんの目標になった。
◯悟空と亀仙人と界王を合わせた人
平成27年、自身の不登校体験を描いた初の著書「学校へ行けない僕と9人の先生」(双葉社)が刊行されたときには、棚園さんとの交流について4ページにわたる文章を寄せてくれた。「『いいよ』って引き受けてくれました。初めての単行本を喜んでくれて、『なかなかがんばり続けられるやつなんていないよ』って言ってくれたんです」
最後に会ったのは一昨年の12月。メールで連絡を取り続け、今年1月、「もうすぐ子供が生まれます」と報告すると、「おめでとう。まさかあの棚橋くん(棚園さんの本名)が。信じられない気持ちです」と返信をくれた。4月に子供が生まれる前に会いに行く約束をしていたが、かなわなかった。「今まで言葉では表せないほどたくさんお世話になってきました。正直、まだ信じられない気持ちです」
強くて明るくて、カラッとしていてウジウジしない。鳥山さんはドラゴンボールのキャラクターのようだったという。「悟空と亀仙人と界王を合わせたような人でした。鳥山さんのような大人になりたいという思いは今も変わりません」。一緒に過ごした時間、かけてもらった言葉は、今も心に強く残っている。